3月31日まで大学院。
4月1日、市場へ。
4月1日、市場へ。
きっかけはですね、祖父からやっている仕事なので、いずれはやるんだろうなと思っていました。高校を卒業したときに親父が倒れて、そのあとは母と姉が店に出ていたわけです。僕はその間、東大で学生生活を送り、大学院へ行って。修士2年目の冬の終わりに、姉が別の仕事に就くことになり、おふくろがひとりでとはいかないわけで。博士へ行くかどうか、僕自身も修論を書きながら悩んでいて…。これも何かのきっかけかなと思って、この仕事を始めようかと。3月31日まで大学に行って、翌日から市場に来たという感じです。
見様見真似で、
失敗を繰り返しながら。
失敗を繰り返しながら。
最初は、お店の番頭さんにくっついてウロチョロしていましたね。ただ見ていたというか、仕入れは番頭さんがやることなので。だから、魚に関して、うちの親父から教えられることはなく、番頭さんからも「これはこうだ」と言われることもなく、見様見真似。自分で仕入れるようになってからも、「他の仲卸がこれを買ってんなぁ、いいのかな」って思いながら買ってみたり。でも、実際は良くなかったとか失敗しながら。まあ、良くなかったってのは、着眼点がよくないから。出したお客さんに「何だこれ!」って、怒られながらやっていました。当時、バブルがはじけたとはいえ、なんとなく平成の一桁のころは、物量的にも今とは比べ物にならないし、忙しかった。美濃桂の会長もおっしゃっていましたけど、何センチ角で切るとか、料理屋さんごとに使いたいサイズがあって。それに合わせた品物を揃えるのは、僕もやっていました。だから、セリ場で1つの箱を見て魚のサイズにばらつきがあれば、50箱でも100箱でも買わなきゃいけない。そこから選別して出していましたね。残りも持って行ってくれるお客さんがいましたし。
1日400〜500本、
目利きする。
目利きする。
魚を見るときに大切にしているのは、お客さんが欲しいものを考えること。あと、クオリティですね。箱に1本(1匹)で入っている魚、例えばブリにしても卸売各社を合わせると500箱ほどセリ場に並ぶ。そのなかで、目で見られるなら1本1本、箱を開けて確認しますね。親父たちがやっていたころは、例えばお客さんの注文が1本2本でも、ブリなら10本くらい買ってきて、自分の店で選りすぐって出していた時代でした。いまでも、やっぱりちょっと余計に買っていきたくなるけど、時代的にそうも言っていられないから、1つ1つ開けてます。あと値段の問題は難しいですが、自分の下付け(セリ場での下見で自分なりの値段を付ける)と合っている値段で出してくれるセリ人と話をする。まあ、相性もあるし、僕なんか0時半に札だけ付けて4時~5時くらいまで値段を聞かないこともありますよ。セリ人がつける値段も結局、その日の売れ行きで変わるので。
セリ人とお客さんのお店へ。
お客さんと一緒に産地へ。
お客さんと一緒に産地へ。
魚と値段以外でセリ人と話すのは、「ゴルフ行こうか」って話とか、世間話ですよ。例えば、お客さんのお店に、一緒に飯を食いに行ったり。そうするとそのセリ人は出している先で、「こう使われているんだ」と思うから、産地から良い魚を呼んでくれたりする。あとはセリ人やお客さんを産地の出荷者のところへ連れて行って、「こんな魚が欲しい」と話をしてくることもある。年に2~3回くらいかな。こういうことをすると、セリ人もお客さんも魚に対しての想いが、ぜんぜん違ってくるんですよ。
お客さんに「魚、良かったよ」
なんて言われたことない。
なんて言われたことない。
だって、“良くて当たり前”だから。「どうでしたか?」って聞くこともない。若い頃に聞いたら、「お前は自分が心配するような魚を出しているのか!」って叱られました。僕も「そうだよな」って思った。今は、質に自信のない魚は断っていますが、昔は断れなくて、なんとか揃えてお客さんに使ってもらえるようにしていた時期もある。でも、「お前たちはたくさん扱っているが、こっちはその1本が大事なんだ」とお客さんに言われたことがあって。そういうやり取りをしながら成長させてもらっています。お店の家風というか、うちも今でこそ小さいですけど、日本橋から続いている「茶屋物師」なんで。「茶屋物師」って、昔の文献を読むと上物を料亭とかに収める人たちのことって書いてあるんです。今はこの単語を使う人はいないかもしれないけど、「茶屋物師」は本当に少なくなっていて。受け継がれてきたプライドが違うんです。セリ人もそういう目で、うちを見るんですよね。
この仕事で嬉しいことは、奇跡のストーリーを見出すこと。
ここ数年、嬉しいのはいいカツオを買えたとき。カツオは難しいというか、たまにハズすときがあるんでね。「割って中身を見ないと分からない」と、みんなからも言われています。セリ人との話で、これはいいだろうという情報のもと、1本1本見て買ってくるのにダメだとアタマに来ちゃう(笑)。だから「この魚すごいな!」ってものに出会えると、すごい嬉しい。考えてみると、豊洲のセリ場でその魚に出会えるって、漁師が獲ってこっちに送らなきゃいけない。その前に、広い海の中で…ってストーリーを考えると本当にすごいと思います。そんなことは、年に3~4本くらいだけどね。
目利きとして、
間違いないものを。
間違いないものを。
プライドを持って、魚の良さ、品質だけは落とさないようにすることが大切。魚1キロ1万円するような高い魚でもあんまり臆することなく、良かったら買う。商売のことばかり考えちゃうとダメなこともあります。魚の目利きというのは、お客さんの好みに用立てるのも目利きであるし、絶対的にこの魚いいなっていうものを選び抜くのも目利き。僕は、後者のほうが大事だと思っています。「この魚は間違いない」と思える目を養うこと、それだけ。同じ出荷者の魚でも全然違うものもありますから。毎日、荷物が届くなかで魚の様子が違うときもあって、それをよく見定める。そのために朝早く起きているのだからね。まあ、いろいろ海を取り巻く状況も変わっているなかで、これからも食べて美味しいものをお客さんに提供し続けるしかないんでしょうね。そこに尽きる。美味いものを提供してみんなで良かったねと笑えること、飲食店に来るお客さまもそうだし、みんなで幸せになれるのがいいじゃないですか。