大学の合格発表の帰り、
その後の天職に出会う。
その後の天職に出会う。
仲卸になったのは、なんて言ったらいいのかな、たまたま波乱万丈で。大学が私を受け入れてくれないわけですよ(笑)。浪人しようかと思ったんだけど、マルツはおじさんの家で、たまたま結果発表の帰りに寄ったんです。そしたら「人が足りないから手伝え!」ということで。ちょうど今の専務が結婚するときで、彼が新婚旅行だからって。私が自分で入りたいってわけじゃなくて、見込まれたというか、手伝えと言われたのがはじまり。まさかそれがさ、生業になるとは思わなかった。自分の性に合っていたのか、楽しくなっちゃって。粋がいいっていうのかな。魚も新鮮だし、人の元気もいいし、挨拶も中途半端だと怒られちゃう。「相手がびっくりするような声で挨拶しろ」と、言われましたね。そういう雰囲気が合っていたのかな。
当時、ウニは片手間だった。
最初の仕事は、竹ぼうきを持って掃除ですよ。でも、おじさんが高齢で引退が近くて。引き継ぐ人がいなかったんで、「お前、俺の後をやってくれないか」って。そのときは、トリ貝、シャコが主だったんですよ。当時、ウニは片手間。ほとんど流通がなかったのよ。でもその後、ウニがね、みなさんの口に合ったんだよね。それで「流通量を増やそう」となって。流通が一番のポイントだから、いかに東京まで早く持ってこれるかってね。当時、産地は東北が主力。北海道にもいいウニがあるっていうんで、我々の大先輩たちが行って食べてみて。「これを東京に持ってこれないか」と策を練って、初めに持ってきたのが国鉄の退職者でしょ。その土地ならではのものを探して、自分たちの手で売ってみようかっていうのが、先人たちの活発なね、営業努力だよね。それからもウニの流通には、いろいろあったのよ。航空便になったのも大変な努力があった。当時、飛行機を使うなんてみんな考えてないからね。そういうなかで需要が増えて、私たちも一生懸命に売ることになって。25歳のときかな、昭和47年に、セリになった。みんな平等で売買できるようにしようって。それからですよ、ウニがグッと伸びたのは。
目利きの極意は…。
ウニの善し悪しは見てれば分かる。そこには、目利きの極意とか、方程式なんてない。我々の目利きなんて言うものはね、みんなね、確固たるものを持っていないわけだよ。だから「そんなのいちいち聞くなよ、分かるだろ、見ていれば」みたいな(笑)。とは言え、気にするのは、季節と産地だよね。1年を通して同じ場所でウニがとれるわけじゃない。休む期間(禁漁)っていうのもある。そして、問題は値段なんですよ、その日の。相場の成り行きを読み取るっていうのが、なかなか難しい。自分がいいと思うものを下付け(セリ前の下見で自分なりの値段を付ける)して、買った後もセリで同じ出荷者のウニの値がどんどん上がれば、「俺の目は正しいんだ」って。自分自身に優越感というか自信がつくわけだよ。ただ逆もあるのよ。「これはいいな!」って思っても、買った値より下がっちゃうこともあるから。
今年で55年目。いまだ途上。
みなさん「目利き」って簡単そうに言うけど、簡単じゃないから。私だって、完璧にできるわけじゃない。まだ、途上ですよ。ウニが言うことを聞いてくれないんだよな。これは永遠の課題っていうかね、探求ですよ。昔は自分でつまんで味見して、「これはいいな」って買うことができたんですよ。でも、今は衛生の面が厳しいからできない。そこで良い目利きが、幅を利かせてくるんだけど(笑)、なかなか難しい。だから味は、お客さんから「あれは良かったよ」とか、「あれはイマイチ」だったとか。「イマイチ」だっていうコメントが少なくなるように、我々が売らなくちゃいけない。「良かったよ!」っていう声が増えていくようにね。
見る夢も、ウニの夢。
ずっと大切にしているのはね、この仕事を好きであること。そして、「良い品物を買う」っていう意欲の維持だね。生業にしているわけだからさ。何しろお客さんが納得してくれる品物を、できるだけお客さんが喜ぶ値段で、セリで落として納めるっていうね。まあ、信念というか、粘りというか。やっぱり最終的には、経験とか体験がないとできないけど、自分を信じることなんだよ。何しろセリだからさ、大体が勝負なんですよ。その場にいたら前向きに進んでいく気持ちが、商売やっていく上で大切だよね。そんな気持ちでいるとさ、マンガの世界みたいになっちゃうけど、ウニのほうから「私を買ってちょうだい」って問いかけられることがあるんですよ。目と目が合ったっていうかね。夜、見る夢も、ほとんどウニの夢だよ(笑)。セリ落とす夢も見るけど、お客さんに怒られている夢も見るし、喜ばれている夢も見るし。品物がどっか行っちゃったとかね。
魚を身近にしたい気持ちは、
これからも変わらない。
これからも変わらない。
ずっと魚市場に携わってきてね、やはりもっと魚を食べてほしいなと。魚が高すぎるってこともあるじゃないですか。魚を買うよりも、肉のほうが安いとか。魚を買っても手間がかかると。肉の場合は焼いたり炒めたりすればいいんだけども、魚の場合は三枚おろしとかしないといけないし。そういうことを考えると魚がもっと身近で、みなさんが食べられるように。今は物資が豊富で何でも手に入るし、包丁を持ったことがない人もいるでしょ。私の友達で、いい歳しているんだけども、まな板と包丁ないって言うんだもの。そういう人たちがいるなかで、どうしたら食べてもらえるかは、これからも考えたいよね。
海外のことも知っていきたい。
それが市場発展の鍵になる。
それが市場発展の鍵になる。
今、なぜ日本食が海外で珍重されているかって、海外のお客さんが日本へ来て、日本のものを食べて、気に入ったってことだと思うんですよ。イギリスのお客さんが来て、日本でお寿司を食べるとするじゃないですか。で、魚河岸で1人前5,000円だとするじゃないですか。でも、自分の国で食べると5万円くらいするんだって。そうすると「日本で買おうか」ってなるから最近、海外への流通が盛んになったと思うんだけど。そのなかで日本は、何をするのかが大切。島国根性で井の中の蛙じゃなくて、どんどん海外に出て、体験して、相手のことを勉強しないといけないと思うんだよね。文化とか日常生活を踏まえた商品を送れば、もっと発展すると思う。イギリス人の世界的に超有名なサッカー選手に「日本で何が美味しかった?」って聞いたら「お寿司のウニ」だって。彼のその一言で、海外からのリピーターがものすごいことになるわけですよ。その選手が食べたウニを私も食べてみたいとかね。我々も世界を知ることが、市場の発展に重要だと思うよ。