SPECIAL

マルツ尾清

55年間、努めても、いまだ途上。
ウニの目利きの第一人者が目指すのは、
世界中のお客さんの笑顔。
「豊洲市場のウニの相場を決める男」などの呼び名を持つ、マルツ尾清の靭江貞一さん。約半世紀にわたってウニの目利きをし、「魚がしコンシェルジュ認定講座」でも講師を務める。そんな「ウニ博士」であり、“レジェンド目利き”である、靭江さんに話を伺いました。
大学の合格発表の帰り、
その後の天職に出会う。
仲卸になったのは、なんて言ったらいいのかな、たまたま波乱万丈で。大学が私を受け入れてくれないわけですよ(笑)。浪人しようかと思ったんだけど、マルツはおじさんの家で、たまたま結果発表の帰りに寄ったんです。そしたら「人が足りないから手伝え!」ということで。ちょうど今の専務が結婚するときで、彼が新婚旅行だからって。私が自分で入りたいってわけじゃなくて、見込まれたというか、手伝えと言われたのがはじまり。まさかそれがさ、生業になるとは思わなかった。自分の性に合っていたのか、楽しくなっちゃって。粋がいいっていうのかな。魚も新鮮だし、人の元気もいいし、挨拶も中途半端だと怒られちゃう。「相手がびっくりするような声で挨拶しろ」と、言われましたね。そういう雰囲気が合っていたのかな。
当時、ウニは片手間だった。
最初の仕事は、竹ぼうきを持って掃除ですよ。でも、おじさんが高齢で引退が近くて。引き継ぐ人がいなかったんで、「お前、俺の後をやってくれないか」って。そのときは、トリ貝、シャコが主だったんですよ。当時、ウニは片手間。ほとんど流通がなかったのよ。でもその後、ウニがね、みなさんの口に合ったんだよね。それで「流通量を増やそう」となって。流通が一番のポイントだから、いかに東京まで早く持ってこれるかってね。当時、産地は東北が主力。北海道にもいいウニがあるっていうんで、我々の大先輩たちが行って食べてみて。「これを東京に持ってこれないか」と策を練って、初めに持ってきたのが国鉄の退職者でしょ。その土地ならではのものを探して、自分たちの手で売ってみようかっていうのが、先人たちの活発なね、営業努力だよね。それからもウニの流通には、いろいろあったのよ。航空便になったのも大変な努力があった。当時、飛行機を使うなんてみんな考えてないからね。そういうなかで需要が増えて、私たちも一生懸命に売ることになって。25歳のときかな、昭和47年に、セリになった。みんな平等で売買できるようにしようって。それからですよ、ウニがグッと伸びたのは。
目利きの極意は…。
ウニの善し悪しは見てれば分かる。そこには、目利きの極意とか、方程式なんてない。我々の目利きなんて言うものはね、みんなね、確固たるものを持っていないわけだよ。だから「そんなのいちいち聞くなよ、分かるだろ、見ていれば」みたいな(笑)。とは言え、気にするのは、季節と産地だよね。1年を通して同じ場所でウニがとれるわけじゃない。休む期間(禁漁)っていうのもある。そして、問題は値段なんですよ、その日の。相場の成り行きを読み取るっていうのが、なかなか難しい。自分がいいと思うものを下付け(セリ前の下見で自分なりの値段を付ける)して、買った後もセリで同じ出荷者のウニの値がどんどん上がれば、「俺の目は正しいんだ」って。自分自身に優越感というか自信がつくわけだよ。ただ逆もあるのよ。「これはいいな!」って思っても、買った値より下がっちゃうこともあるから。
今年で55年目。いまだ途上。
みなさん「目利き」って簡単そうに言うけど、簡単じゃないから。私だって、完璧にできるわけじゃない。まだ、途上ですよ。ウニが言うことを聞いてくれないんだよな。これは永遠の課題っていうかね、探求ですよ。昔は自分でつまんで味見して、「これはいいな」って買うことができたんですよ。でも、今は衛生の面が厳しいからできない。そこで良い目利きが、幅を利かせてくるんだけど(笑)、なかなか難しい。だから味は、お客さんから「あれは良かったよ」とか、「あれはイマイチ」だったとか。「イマイチ」だっていうコメントが少なくなるように、我々が売らなくちゃいけない。「良かったよ!」っていう声が増えていくようにね。
見る夢も、ウニの夢。
ずっと大切にしているのはね、この仕事を好きであること。そして、「良い品物を買う」っていう意欲の維持だね。生業にしているわけだからさ。何しろお客さんが納得してくれる品物を、できるだけお客さんが喜ぶ値段で、セリで落として納めるっていうね。まあ、信念というか、粘りというか。やっぱり最終的には、経験とか体験がないとできないけど、自分を信じることなんだよ。何しろセリだからさ、大体が勝負なんですよ。その場にいたら前向きに進んでいく気持ちが、商売やっていく上で大切だよね。そんな気持ちでいるとさ、マンガの世界みたいになっちゃうけど、ウニのほうから「私を買ってちょうだい」って問いかけられることがあるんですよ。目と目が合ったっていうかね。夜、見る夢も、ほとんどウニの夢だよ(笑)。セリ落とす夢も見るけど、お客さんに怒られている夢も見るし、喜ばれている夢も見るし。品物がどっか行っちゃったとかね。
魚を身近にしたい気持ちは、
これからも変わらない。
ずっと魚市場に携わってきてね、やはりもっと魚を食べてほしいなと。魚が高すぎるってこともあるじゃないですか。魚を買うよりも、肉のほうが安いとか。魚を買っても手間がかかると。肉の場合は焼いたり炒めたりすればいいんだけども、魚の場合は三枚おろしとかしないといけないし。そういうことを考えると魚がもっと身近で、みなさんが食べられるように。今は物資が豊富で何でも手に入るし、包丁を持ったことがない人もいるでしょ。私の友達で、いい歳しているんだけども、まな板と包丁ないって言うんだもの。そういう人たちがいるなかで、どうしたら食べてもらえるかは、これからも考えたいよね。
海外のことも知っていきたい。
それが市場発展の鍵になる。
今、なぜ日本食が海外で珍重されているかって、海外のお客さんが日本へ来て、日本のものを食べて、気に入ったってことだと思うんですよ。イギリスのお客さんが来て、日本でお寿司を食べるとするじゃないですか。で、魚河岸で1人前5,000円だとするじゃないですか。でも、自分の国で食べると5万円くらいするんだって。そうすると「日本で買おうか」ってなるから最近、海外への流通が盛んになったと思うんだけど。そのなかで日本は、何をするのかが大切。島国根性で井の中の蛙じゃなくて、どんどん海外に出て、体験して、相手のことを勉強しないといけないと思うんだよね。文化とか日常生活を踏まえた商品を送れば、もっと発展すると思う。イギリス人の世界的に超有名なサッカー選手に「日本で何が美味しかった?」って聞いたら「お寿司のウニ」だって。彼のその一言で、海外からのリピーターがものすごいことになるわけですよ。その選手が食べたウニを私も食べてみたいとかね。我々も世界を知ることが、市場の発展に重要だと思うよ。

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仲卸コラム
営業の斎藤さんに聞きました!
「市場の魅力」とは
生食できるものがお手頃な価格というのは、本当は感謝すべきことです。漁師の人たちもそうだが、流通や目利きがあってこそ。肉とかも安いですが、海を泳いでいた魚がいかに貴重かっていうことを今の若い人たちにも伝えて、もっと食べてもらえるようにしたいです。また、海外の人たちが言うには、豊洲みたいな市場は世界中のどこを探しても見つからないらしいです。魚を管理するレベルが高く、活〆する技術や目利きのレベルも高い。この総合力が海外から見て、とても魅力的なんだと思います。
営業の斎藤さんに聞きました!
「市場と輸出」について
うちも香港やマレーシア、シンガポール、タイの寿司屋さんとか日本料理店とお付き合いがあります。香港は今日の朝に出して、夕方には着いているんですよ。九州へ届けるよりも早い。つまり、海外のセレブの方たちは東京のお寿司屋さんと同じ鮮度のものを食べているということなんです。各国で生食の文化も進んできていて、輸出量も増えています。あと、東京ならちょっと魚が違えば返品できますけど、海外ではそれができないですから目利きの信用というのも良い武器に。今後も、この信用を大切にしながら、輸出を増やしていきたいと考えています。